論博取得の振り返り

日記

3月にめでたく学位を取得した(させてもらった)。
当初目標としていた「大学に出戻ってから1年以内に博士取得」はなんとか達成。
一区切りついたので、学位取得や大学出戻りの感想などをここでいろいろ振り返ってみる。

論博取得の経過振り返り

2013年(M2)

結果がまとまってきたので論文を書き始める。
この時点では就職が決まっていたので進学する気はゼロ。

2014年(M2卒業直前)

修論と論文投稿を同じタイミングで完了。
投稿論文は残念ながらリジェクトされたので、卒業後に持ち越し。
修論発表会後も実験を続けていたら追加でデータが出た。
「これだけデータがあるなら進学しても問題なく学位取得できたじゃないか」と思うなど。
就職しても論博を取るという選択肢もあるよ、とボス(教授)に勧められる。
この時何と返答したかは覚えていない。

2014-2015年(会社員1-2年目)

論文がようやくアクセプトされる(1報目)。
投稿雑誌を変更する際に内容を一部カットしたため、
もう一報論文が書けてしまう量のデータが残る。
この時点では論博のことはあまり念頭になく、
単純に「データがあるのに論文の形にしておかないのは申し訳ない」くらいの気持ちでいた。
仕事が忙しかったこともあり、しばらく論文のことは忘れる。

2016-2017年(会社員3-4年目)

「義務感(データがあるのに論文の形にしておかないのは申し訳ない)で2報目を書くつもりなら必要ない、論博を取りたいなら書いたらいい」
と教授に言われたこともあり、なんとなく論博取得の方向で2報目を書き始めることに。
当時勤めていた会社の上司が研究室と関わりがあり、博士号取得にも理解があったことも大きかった。
業務の延長ではなく、あくまで自己研鑽の一環として、という形。
追加データ取得のために年に1,2回研究室にも行った。
が、大学から遠かったこともあり、(仕事も言い訳にしつつ)なかなか進まず…

2018-2019年(会社員5-6年目)

転職、結婚、その他ライフイベント目白押しで論文どころではなくなる。
関西に戻ってきたので、研究室に行きやすくなるな…とは思ったものの、
転職により開発分野や周囲の環境が変わったこともあり、博士号取得の意義を見失いつつあった。

2020年(会社員7年目)

研究職として今の会社で働き続けることに対して将来が見いだせず、
部署移動or転職を考え始めていた。
研究職でなくなる前に、心残りであった論博取得はやり遂げたい、と思ってボスに相談したら
なんだかんだでアカデミアに戻ってくることになった。笑
その時の話はこれ↓

出戻りを決意してから会社退職までは、ここ数年放っていた2報目のデータを確認したり、書きかけの原稿を確認したり。
どこまで進めていたかも覚えておらず、確認にはすごく時間がかかった。

2021-2022年(大学出戻り1-2年目)

仕事(共同研究PJ関係)を覚えつつ、本格的に2報目原稿に取り組んだ。
データが出てから時間が経ちすぎていたため、
研究の目新しさという意味では価値が落ちてしまいストーリーの組み立て方に苦しむ。
苦戦はしたものの、もともと途中まで原稿ができていたこともあり、春には無事にアクセプトされた。
夏からは3報目論文のデータ取りと原稿作成を同時並行で進めた。
3報目は修論発表会後にたまたま見つけた実験結果で、
卒業後にさっさと論文を書いていればもっといい雑誌に挑戦できたのに・・・という内容。
この7年の間に似たような論文が出てしまっていて、先行研究との差別化に苦しんだ。
秋からは3報目の原稿作成と並行して学位論文の準備も。
あっという間に冬になり、3報目投稿→学位論文提出→公聴会とバタバタ過ごした。
この頃から共同研究PJ関係も本格的に忙しくなってきたので、
11月~今年の2月くらいまでは本当にあっという間だった。
あまりにも忙しくて実感がなかったものの、3月に無事学位取得。
3報目は公聴会までにアクセプトには漕ぎつけられなかった(当初投稿したジャーナルにはリジェクトをくらった)ものの、
再投稿してなんとか受理されそうなめどがついたのでほっとしている。

気づいたこと&感想

実験結果を出すのとそれを論文にまとめるのは別物

M1~M2の頃は、それなりに実験データが出ていて学会発表もたくさん行っていたので
「データが出てるからあとは書くだけ、楽勝じゃん」
「M2の時点で論文3報分データがあるなら、わざわざ3年間進学して博士号取得する必要ないじゃん」
と、ナメた考えを持っていた。笑
いざ論文を書きはじめると、話の内容に合わせて追加測定の必要も出てきて、
結局投稿できる形に仕上げるのにはそれなりの時間がかかってしまった。
また、学会発表のプレゼンを作るのと論文を書くのでは、ストーリーに求められる細かさが全然違った。
プレゼンでは多少の誇張ができるので都合の悪いことは触れなかったりで誤魔化せてしまうが、
論文でそんなことをしてしまうと査読者の猛攻撃にあってしまうのではそうはいかない。
M2の頃は、正直な話、
「学会のプレゼン作るのも論文書くのも同じじゃん、なんで博士の先輩たちはなかなか論文を書かないんだろう」
と思うことすらあったが、その考えがいかに未熟だったかを思い知らされた。

論文を書くことそのものが勉強

これも上の話につながるポイント。
これまで、私は「いかにいい(いわゆるIFの高い雑誌に載りそうな)研究結果を出すか」
がすべてだと思っていたので、
ちょっとイマイチな結果を論文にまとめることの意義があまり理解できていなかった。
(もちろん、いい実験結果が出るのがベストだとは思う。
研究室の諸先輩方が当たり前のようにJACSやらNature姉妹紙やらを出していたので
それぐらいのレベルでないと価値がないかのように思い込んでしまっていた)
今回、大学に戻るまでのブランク期間がかなり長かったこともあり
「掲載雑誌の難易度にはこだわらず、まずは3報論文を出して博士号を最速で取ること」
を方針として進めた(当初は「本当にこんな方針でいいのだろうか」とも思った)。
が、いざ進めてみると論文を3報揃える(掲載雑誌にはこだわらない)だけでもかなり勉強になった。

特に、2,3報目は似たような先行研究がある中で、
「自分のやった新しい取り組みはどこか」をうまく考えて話を組み立てるのに苦労した。
以前、学生時代にお世話になった先生が、
「いいデータよりも微妙な結果をどう論文にするかが腕の見せどころだよ」
と言っていた意味がようやく理解できた。
きっとこれから研究を続けていく中で、常に良いデータが出るとも限らないので
得られた結果をなるべく形にして残すためのスキルが身につけられたと感じている。

もちろん、もっと(先行研究の無いような)いい研究をして胸を張っていきたい、
という野望もあるので(笑)、
これからまた新しい研究テーマにチャレンジしていきたい気持ちはある。

論文はつべこべ言わずにとにかく書いたほうがいい

論文書くのはめちゃくちゃ遅いほうなんだけど、
ちょっと習慣を見直すことで学生時代よりは早くなったと感じている。
また、2報目→3報目と回数を重ねるごとに要領はつかめてきている気がするので
これからも機会を見つけてどんどん書くようにしていきたい。

あと、3報目を書いている時に気づいたのは
データが出そろってなくても書けるところから書き始めたほうがいい、ということ。
書き始めるとどんなデータや先行文献が追加で必要かも気付けるので。

全国の社会人博士の皆様(もちろん課程博士の皆様も)を尊敬する

当初は会社員を続けながら論博取得予定だったけれど、
働きながら準備するのはマジできつい。みんなどうしてるんだろう。
私も一応大学で働きながらだったけれど、なんだかんだで12-1月は配慮してもらっていたので
これが(学位論文準備など関係なく仕事が降ってくる)会社員だったら無理だっただろうと思った。

もちろん、課程博士の皆様も尊敬する。
同時期に公聴会を行ったD3の学生たちを見ていて、
3年間研究に専念していただけの知識の広さと思考の深さがありさすがだなと思った。
年齢は私のほうが上でも、研究者としては彼らのほうがよほど立派だと感じる。
その点は1,2年では追いつけるものではないが、なるべく早く近づけるように今後も努力したい。

最後に&今後の予定

4月からは引き続き研究室に残って研究を続ける。
学位も取得したので、(任期付きだが)助教という形で採用してもらえることになった。
いろいろと準備してきた共同研究PJも本格的に開始するので楽しみ。

1年前、会社を辞めて大学に戻った時は、
「やっぱり会社のほうが良かったと後から後悔しないだろうか」と不安でしょうがなかったが、
周囲の助けもあり自由な環境で仕事をすることができ、今でも大学に戻って良かったと思っている。
今時むしろアカデミックから企業へ移ってしまう若手研究者も多いと聞くので、
今の自分の環境はとても恵まれていているのだろう。感謝して少しでも還元できるように頑張りたい。
これがゴールではなく、むしろスタート地点にやっと立てたところと思っているので、
焦らず腐らず地道に続けていきたい。

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