会社員7年目にして大学に戻ることにしました

会社員生活

先月の12月で今の会社(2社目)で働き始めて3年になった。
1年半前(転職してから1年半後)こんなことを言っていたが、
2月から大学に戻って働くことになった。まさかまさか。

この時も転職は視野に入れていたけれど、別の企業への転職を念頭に置いていたし、
時期も5-6年後(35歳前後で…)くらいのスパンで考えていた。
まさか1社目よりも短い期間で次に移るとは。しかも大学って。笑
とても大きな人生の節目なので、経緯や考えたことなどを書き残しておこうと思う。
まだ自分の中でも思考整理中なので、言っていることがところどころ矛盾しているかもしれない。
1,2年経った後にこの記録を自分で読んでみて、この決断は正しかったと思えるのか、
はたまたバカな選択をしたと思うのか…

大学に戻ることになった経緯

2社目での状況

上記の記事でも書いていた通り、なかなか社風になじむことができなかった。
「今はまだ1年半しか経ってないので、あと2,3年もすれば慣れてもっと楽しくなるかも」
と自分に言い聞かせて頑張ってみたけど、無理だった。笑
あまり具体的に書くのは良くないと思うので簡単にポイントのみ触れると…

  • 無駄な業務が多すぎる(社内でしか通用しないしきたり、規則、根回し作業)
  • 業務内容の薄さ
    専門性ガン無視の配属・頻繁な配置換え等、所詮自分は会社のコマでしかないことを痛感した。
    私の場合は一応、ある程度前職の経験を考慮して仕事を振ってもらうことが多かったが、
    完全放置に近かったので、新しいことを覚えることはなかなか無く、
    1社目で得たスキル・知識を貯金として切り崩して使っている感覚だった。
    同じ3年でも前職にいた3年と違って身につくものがすごく少ないのでは?と不安を感じた。
  • コネと雰囲気で決まってしまう人事評価
    上司ウケの良い人に面白い仕事が回ってくる→評価上がる の繰り返しだったので
    (私は特に評価が良くも悪くも無いようだったが)見ていて気持ち悪かった。
    とある機会に、上司とこれからのキャリアプランについて話すことがあった際も、
    育成計画には「まずは安全業務から取り組ませる(=社内に顔を売っていく)ことから」とあった。
    上司はそうすることが本気で私の昇進のためになると思っており、あくまで善意なので
    申し訳ないけど、それはちょっとないよなぁー、と。
  • 一緒に仕事したいと思える人が(ほとんど)いなかった
    前職でもいろんな人がいたけれど、自分自身の仕事に直接関わる人(上司・先輩・部下)に
    恵まれていたのだと思う。「この人と一緒だから頑張ろう」みたいな。
    今の会社では上下の関りがほとんど無かった。ディスカッションもほとんどなし。
    仕事のモチベーションがすべて周囲に左右されるのは良くないと分かってはいるものの…

などなど。これがJapanese Traditional Company てやつなんでしょうか。
大企業のいち会社員である以上ある程度は仕方ないことだなぁーと思いつつ、
それにしても前の会社(1社目)より酷くない?と悩む日々だった。
(もしこの会社が1社目だったら、会社ってこんなものだと思い込んでしまって
追い詰められていたかもしれない。そう思うと今でもゾッとする)

モヤモヤ腐り気味の日々

何よりいちばん辛かったのは、この雰囲気の中多くの社員がモチベーションを失っていて、
「仕事はイマイチだけど給料・福利厚生はそこそこだから、このまましがみついてやろう」
みたい(に見える)人がすごく多かったこと。そうなる気持ちもよく理解できた。
※大きい会社なのできっと社員全てがこういう人ではなく、あくまで私の周りに限った話だと思う…

大学の研究室や前職でもそれぞれ欠点はあり、どこも完璧というわけではなかったが、
今の会社では些細なことが気になってストレスに感じてしまった。
なぜかは今でもうまく説明できない。本当になじめなかったということなんだろう。

とにかく、この会社にこのままいてもこれ以上の成長
(少なくとも、研究開発をする者としての)は小さそうだと感じていた。
自分のモチベーション低下も感じたしこのままではダメ人間になっていくんだろう、
うーんでも結婚もしたし仕事って所詮こんなものなのか?と悩む日々が続いていた。

部署移動も考えたが、私が動ける(と思われる)範囲ではあまり状況が改善されるように思えなかった。
また、自分が今の部署を離れて、この会社で他にやってみたいことって何だろう?
と考えたときに、何も思いつかなかった。これは私の能力不足。
転職も考えたが、転職したところでこの状況が改善するとも限らない。
(勤務地も限られるのでなかなか動けない)
また、もう31という年齢も考えると(子供いつ産むの?)ますます動けなかった。
会社にしがみついて生きていくのは嫌だ、どこに行っても通用する能力をつけたいと考えながらも
今与えられている仕事以外にやりたいこと、できることは何か?も思いつかず
会社へのモヤモヤと自分の能力不足に対するもどかしさでちょっと腐り気味だった。

そうだ、論博とろう

そもそも、なぜ大学に話をしに行ったかと言うと…
元々、修士の頃のデータで論文を1報書いたことがあった。
まだ論文にしていないデータも残っていたので、論博は以前からずっと勧められていたが
前職の頃は忙しくて手がつかず、今の会社では博士号を取ることに対して目標が見いだせず…
2報目の論文を書きかけては諦め、の繰り返しでうやむやに放置していた。
そうこうしているうちに、指導してくれていた先生も研究室からいなくなってしまったので
気になっていたけれど論博は諦めモードに入っていた。
また、そろそろ子供産むかも?とも考えていたので
論文書きを(別の先生に指導をお願いして)再開した後に中断するのも嫌だなぁと思っていた。

ところが、高校時代の同級生と飲んでいるときに、とある話題で
「子供産む前から先のことを考えたってしょうがないよねー」
と言われた。目からうろこ。確かにそうだよなぁーと。
幸い仕事もそれほど忙しくないし、ずっと気になっていたんだから(まさに「足の裏の米粒」!)
とりあえずチャレンジしてみたらいいじゃないかと思った。
不安の先取りはしない方が良いってそういえば研修でも言われたことがあった。
今の会社で博士号は確実に役に立たないけど、論博取れた後に転職するのもアリかなと考えていた。
(この時点では大学に戻る気ゼロ)

アカデミックへのお誘い

そういう経緯で、研究室の教授に論博について相談しに行った。
経緯を聞いて、教授からはもちろん大学に戻ってくることを勧められた。
学生としてではなく、職員として。

教授から提案された案は以下の通り。

  • 博士号を持っていないのでまずは技術職員としての採用
    (=給料はとても下がる)
    自分の研究に加えて、企業との共同研究案件を担当する
  • 博士号は論博で取得する(卒業後に出した1報もカウントできる)
  • 博士号が取得できた後はしばらく研究室に残り次のポストを探す。
    (教授の定年までまだしばらくあるので、それまでの期間)
  • 博士さえ取れればそれなりの給与は出せる

私も、大学に戻って来いと言われることは想定済みで、
「それは無理だ」と思っている理由は用意してあった。
ところが、何だかんだで問題ないよと言われてしまった。

①卒業してから7年もブランクがあるので追いつけない
→7年経つうちに研究テーマも変化していて、
今の研究室の状況はこれまでの会社での経験が活きる状況になっていた。
学生時代の研究内容を続けるのであればブランクは大きいが、
今の研究室で取り扱っているテーマはぜひ取り組んでみたいと思った。
(大学に戻りたいと思った理由はここがいちばん大きい)

②30代のうちに(可能であれば)出産しておきたい
→教授の定年までしばらくあるので、それまでは研究室に在籍できるだろう。
メンバーも多い研究室なので、サポートするし大学でも家庭との両立はできるんじゃないか?
という趣旨のことを言ってもらった。
確かに、ポスドクであったりスタッフが少ないような研究室であれば無理かもしれないが、
出身研究室に在籍している間ならなんとかなるのでは?という気になってしまった。
何より厳しいと言われるアカデミックの世界で、
そこまで家庭のことも考慮してもらえるなんてこんなチャンス他にないよね?と感じた。

③関西を離れることができないので次のポストが見つからないと思う
→国立私立を問わなければ関西なら大学も多いしなんとかなるだろう。
あと最近どこも女性教員の採用には力を入れているので有利だよ、と言われた。
昔(M1の頃)進学を迷っていたころは、
「アカデミックに残るなら有名大学でバリバリ研究できないと…」
という謎のプライド(?)があったけれど、そこに対するこだわりは今はあまりなくなっていたので
国立私立問わずどこかで研究・教育に携わることができるのであれば良いんじゃないか?
と思えるようになっていた。
(もちろん、出身研究室で修行してしっかり研究の力を身につけられた後の話だけれど)

会社で仕事を続けながら論博取るのも歓迎なので、あとは自分で考えてと言われた。
迷っていろいろと比較してみたけど、今の会社に感じていた未練は
「仕事や会社そのもの」ではなく「安定な会社員としての身分」だけであることに気づいた。
いつの間にか周囲に染まってしまっていたことに気づいて、我ながら情けないと思った。

というわけで、2月から大学に戻って働くことになった。
決断に迷った際に、いろいろと考えたことも次に書き残しておこうと思う。

考えたこと

そもそも修士の時は何でD進しなかったのか?

M2の頃もいろいろ迷って企業就職を決めた(はず)なので
考えたことがいろいろあった。その時感じた問題がどのように解決できたかについて。

研究室のレベル高すぎだった

当時(私がB4~M2の頃)から研究室のレベルは高く、
D進して当たり前の研究室(就職する方が少数派)だった。
B4の配属時点ですでにD進希望の学生も多く、
「こんなに決意が固い同期・後輩たちには到底太刀打ちできない」と思うことがあった。

→今になって思うのは、やはり自分が「頑張らないとついていけない」
と思って必死になれるような環境に身を置かないと、私は頑張れないんだなと思った。
もっと優秀な人たちは強制されなくとも自ら学んで成長していくのだろうけど、
私は怠け者なので、もうちょっと追い込まないと頑張れないみたい。笑

学振に絶対受かる保証がなかったから

学生時代は決して余裕があったわけではないが、金銭的にはある程度恵まれていた自覚があった。
(両親の仕送り+少しのアルバイトで特に苦労せずに大学院まで通えていた)
学振だってあるものの絶対受かるとは限らないし、会社員としての給料と比較するとやはり低い。
こんなに甘ちゃんの私が、生活を切り詰めてまで研究に没頭したいと思えるか不安だった。
学生の頃は生きていくのにどれくらいお金がいるかもよく分かっていなくて
ただただ働かねば、お金を稼がなくては、みたいな漠然とした不安があったように思う。

→これに関しては、会社員を経験して(あぁ、会社員ってこんな感じなんだなというのも分かって)
多分なんとかなる!という気持ちになれた。
住宅ローンがあるので、働き続けねばならないのは一緒ですが!笑
一時的に収入は下がるが、課程博士3年行った場合の学費を考えるとこんなものなのかなぁと。

会社員ってもっとちゃんとしているものだと思っていた

学生時代にちょっと嫌だったのは、メンバーの個性が豊かすぎて
びっくりするくらい優秀な人もいればその逆もたくさんいて(笑)、不平等感がえげつなかったこと。
会社なら給料もらってる分、皆それなりに(?)働くので精神衛生上は良い環境だろうと思っていた。

→…会社に行ってもびっくりするくらい働かない奴はいっぱいいたので
結局どこに行っても一緒だった。
何でこんな簡単なことに学生時代気づかなかったんだろう…笑

修士の頃の研究テーマに限界を感じていた

紆余曲折あって、修士の頃は先生から与えられたテーマではなく
たまたま出てきた実験結果を深掘りする形で研究を進めていた。
そのため、他の学生が取り組んでいる研究に比べて自分の研究がしょぼい(?)ように感じていて
(誰でも思いつくような実験なのでただのスピード勝負)
この研究をこのまま続けてもあまり面白くないんじゃないかと感じていた。

→さっきも書いた通り、今回大学に戻るにあたって新しいテーマをやることになる。
1社目2社目の経験も少しは活きることになる。なのでこの問題についても解決した。
論博をとるにあたって修士の頃のデータはまとめて論文にする必要があるけれど、
そこは修行だと思って割り切って進めることにする。
しょぼいしょぼいとつい思ってしまうものの、おかげでデータ数だけはたくさんあるので
たくさん実験した(7,8年前の)自分、よくやったと前向きに考えることにする。

自問自答のQ & A

その他不安に思ったことを、Q&A形式で。

Q.出身研究室に戻ってる間はいいけど、その後どうするの?将来不安じゃない?
A.ポストを選ばなければ、関西限定でもなんとかなると思っている。
教授の定年の関係で、かえってタイムリミットがはっきりして良いのかも。
それまでにポストが決まらなければ、才能がなかったんだとすっぱり諦めて企業就職も考える。
タイムリミットが来てもまだ30代だからなんとかなる?と前向きに考えている。

Q.会社でなんとなーく働きながら論博とった方がお得だったんじゃない?
A.興味があった研究が企業との共同研究に関わる内容だったので。
うまくやれば会社員の立場のまま参加することもできたかもしれないが、
集中したかったし、そんなややこしいことをしてまで今の会社に残りたいという未練はなかった。

Q.会社内で配置換えは考えなかったのか?
A.研究部門はどこも同じような雰囲気だったし、
今のチームの研究内容以外では専門性がほとんど活かせないようだったので、なし。
専門性が活かせないなら、部署替え(生産技術か技術営業)の方が良いなとは考えていたけれど
それよりも今回のチャンス(アカデミック)の方が魅力的だと感じた結果。
ここは、会社そのものに違和感を感じていたところが大きかったかも。

Q.やっぱり企業就職じゃなくてそのまま博士課程進めば良かったんじゃない?
もしくは1社目→2社目の時に転職せずに大学戻ればよかったと思ってる?
A.今回アカデミックに戻って取り組むテーマは、
会社での開発経験がなければやりたいと思うことはなかった(と思う)。
また、一度も就職せずにD進していた場合はきっと
「アカデミックより会社の方が良かったんじゃないか」
と思うことが何度もあったと思う(隣の芝は青く見える理論)。
また、2社目もなんだかんだ言いながら学んだこともあった。
会社といっても多種多様なので、1社目しか経験していなかったら
全て”会社=1社目の会社”みたいな考え方になっていたと思う。
ちょっと遠回りだったけど、この選択(修士卒で1社目→2社目→アカデミック)自体に後悔はない。

Q.もう31でしょ?子供とかどうするの?
アカデミックだとワークライフバランス取れないんじゃない?
A.なるようになる、と思うことにした。笑
1社目→2社目の転職時にワークライフバランスは大事だと思っていたけれど、
今の会社ででやってみて分かった。どんなにライフの方が充実してても
ワークがつまらなかったら人生むなしい。(個人の意見です)
子供とかはどうなるかマジでわからん。夫は大切にしようと思います。
今回の選択は、ライフも含めて、全て充実させたい欲張りチャレンジだと考えている。

最後に&今後どうしていきたいか

まずは論博取得。1,2年以内には取ってしまいたい。
今は全然ダメダメだけど、5年後くらいには「これが自分の研究だ」と言える分野を持ちたいなぁ。
自分ならではの長所(企業経験や学生時代のアウトリーチ活動)も活かして、
ちょっと変わった、特徴のある研究者を目指していければと思っている。

企業が嫌で大学に戻るというより、より良い職場として出身研究室を転職先にした、という感覚。
大学ならどこでも良かったわけではないし、
2社目が合わなかったからと言って会社生活全てが私に合っていなかった、とも思ってない。
自分には何が向いているのか?何を実現したいのか?
なんていまだに分からなくてふらふらしているのは情けない限りだけれど、
自分が好きなのは何かを頑張ったという達成感、新しいことを習得するという満足感と
周囲とワイワイ話し合って何かを進めていくことなんだと思った。
小さなことかもしれないけれど、これからも大切にしていきたい。
きっとこれから大変なこともたくさんあって、「やっぱり会社で働き続けておけばよかった」
と思うことがあるかもしれない(たぶん、ある)。
そんな時に、この記事を読み返して当時の気持ちを思い出せるようにしたいな。

[2022.4.1更新]
そうこうしているうちに、目標通り1年で論博取得できた。
今のところは後悔せずに楽しく研究生活を送っている。

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